yasui2226のブログ

自作の小説を置いてます

1、ある雪の夜と青い目の女の話

・伏線管理、ストーリー展開の面白さに注力
・五部構想のストーリー、一作目のため世界観説明と大まかな人物紹介がメイン
・国境検問官の正義を全体のテーマに据え、タイトルをそれぞれのターニングポイントとする予定です


 

183年9月13日

AM9:00

規律と秩序の国、イルクテージ。この日、ある街の役場の壁に真新しい白の貼り紙が貼られた。
同じ街、一人の若者が路地を歩いていた。彼の名はヂャフダイ。細々と靴屋を営んできた父をこの夏に亡くし、年老いた母を養うために職を探していた。
彼は自分の状況を顧み、ため息を吐き出した。

「靴を作るしか能がない俺に仕事なんて見つからないよな……
と言って、このご時勢に靴屋なんて流行らないし」

トボトボと進む彼の歩みは止まらない。足は自然に街の中心、すなわち町役場の方に向かってく。
程なくして目の前に迫った役場の壁に足を止め、彼は目線を上げた。黒い壁に映える真白の貼り紙が目に留まった。

 

183年9月25日

PM2:00

「名前は?」

「クローム・ギプソン」

「生年月日」

「158年の4月6日よ」

「いいだろう、入国の目的は?」

「通るだけです、この向こうのレブネフに用があって……」

グレーで短い髪に白のスカートをはいた女性。はたから見る限り特に問題はなさそうだ。
上官もそう判断したらしくパスポートに認可のハンコを押す。

「問題なしだ通っていいぞ。一応滞在できるのは一週間、それ以上居たいなら別書類を用意してもらうがその必要はないだろう」

「ええ、大丈夫。ありがとうね」

女性はイルクテージ側のドアを開き、街に入っていった。
バタンと言う音が建物に響く、最近風が強くなってきた。今も外ではピュルピュルと笛をめちゃくちゃに吹き鳴らすような音が聞こえてくる。

「国境検問にあたって最も留意しなければならないこと。それは相手の目を見ながら会話をすることだ。
人の心理ってのは目玉と手に顕著に現れるからな。少しでも怪しかったら躊躇せずに身体検査に入れ、お前にはその権限がある。
あと要注意なのは何かにつけ自分の行動に理由付けをする輩だな。嘘で塗り固めたそう言う奴らは案外疑われると弱いから」

椅子に座った大きな後ろ姿から突然声が飛び出してきた。ゆっくりとこちらの方を向きながらも言葉は途切れない。モッサリと口元に蓄えたヒゲが口を動かすたび不思議な動きをしていた。彼の名はジェームズ。俺の直属の上司であり何年もこの東検問所で国境管理をしているベテラン検問官だ。
ただ、仕事に対する姿勢は少しばかり大らかな様で真昼間に関わらず顔は赤く、吐く息は酒気を帯びている。

「ヂャフダイ実際お前はよくやってるよ。 二週間弱で大体の業務内容を覚えたのは悪くない、この分なら10月には西を開けられそうでホッとしてるんだ。
ただなぁ、そうやって顔を曇らせるのはやめたほうがいいぞ。ここは俺の検問所だ、酒を飲もうが居眠りしようが俺の勝手さお前さんはもう少し態度に余裕を持ったほうがいいな」

ウンウンと頷きながら再びジェームズは瓶に口をつけた。どうやら表情を読まれていたらしい、ただまぁ確かに彼の言うことには一理あるかもしれない。やっと見つかった仕事なんだ上司に嫌われて免職、なんて冗談じゃない。
殊勝にうなずく俺に満足したのかジェームズはちびちびと酒を舐めながら話を続ける。
 先ほどから飲酒に対してなんやかんやと言っているが実際問題、合理的なのはジェームズの方なのだろう。この時期のイルクテージは日中でさえ日が隠れると風の冷たさにはっとする。まして、しっかりと作られた住居と違い安普請の検問所だ。ケチな政府が余分な薪代など出してくれるはずもなく、ここのストーブは真冬になるまで動かないらしい。早くも冷え切った指先を厚めの検問官用の制服にこすり合せる。
安上がりかつ手早く体温を上げる方法は確かに酒を飲むことらしかった。

「とまあ、基本業務のおさらいはこのくらいだな。あとはとにかくやってみるのが早いんだが……。おお、丁度いいなよく見とけよ」

検問所脇にある門の前に緑のトラックが停車すると運転手が降りてくる。三十代ほどの外見にジェームズと似たり寄ったりなでっぷりとした体型。あごを覆うように伸ばしたヒゲは黒々としている。
隣でジェームズもガタガタと立ち上がる。車での国境通過の際には検問官が積み荷の確認をする規則になっている。

「俺が見てきますよジェームズさん。トラックは見るところ多そうですし」

「ああ大丈夫だ、お前さんはここで俺の手際でも見ながら番をしてな。昔にこんな時を利用して検問所を越えようとしてきたやつもいたからな。ここを離れるんじゃないぞ」

そう言いおくとジェームズは運転手の元へ歩いていく。どうやら知り合いらしい、立ち話をしながら荷台から運転席、車の裏まで確認すると一緒に歩いてきた。

「あのトラック何を運んでるんですか、石炭かな?」

ジェームズと運転手が検問所に収まるのを待って俺は尋ねる。運転手はニコニコと笑いながら響く声で答える。

「あれはうちの国で作ってる酒さ、こいつも丁度飲んでるだろ。樽に詰め込んだのを月一で運んでくるんだ」

「そう、酒だな。テミュ製の」

「ああ、酒さ」

何が面白いのかガハハと笑い合う二人、少々置いてけぼりな俺は困惑しながらも二人の中年のやり取りを眺めていた。
程なく検問が終わり、運転手が車に戻る。

「いいか、車を通すために門を開けるのも俺たちの仕事だ。ちょっと付いて来い」

「えっでもここを空けるわけには」

「いい、いい。国境警備隊もいるし問題ないよ。それより錠前さ、何処にあるか知ってるのか?」

そう言うと俺を伴って門の鍵を持って走る。東検問所横の門は東の隣国テミュとの国境を厳しく隔てる黒の鉄格子だ。
ガチャガチャと言う音と共に門が開く。

「じゃあな、ジェームズ。今夜あたりまた呑もうぜ」

「ウチに来い! 丁度面白い酒が手に入ってな、飲ましてやるよ」

ブロロロロと走り去ったトラックは積み荷の重さを感じさせない軽快な動作でイルクテージの中心部を目指して行った。

「さて、俺たちも戻るかな。そろそろお前の研修期間も終わるんだ。
次は一人でやれるようによく見とけよ」

運転手と会ってからジェームズは心なしか嬉しそうだった。

 

183年10月1日

AM6:00

『6時になりました。イルクテージと隣国のニュースを家庭に、ドルフズク日報の時間です』

 古いラジオからノイズ混じりの女の声。俺は薄いだけで体を包むくらいしか能のない掛け布から這い出る。ガタガタ揺れる窓からは冷えた空気がひっそりと入り込んで来た。これから11月にかけて一気に気温が落ち込むだろう。もっと稼いで、いい家を借りないとこんなボロ部屋じゃ冗談抜きに凍え死んでしまうかもしれない。
 俺はひんやりとした石の床に足を乗せるとシンクに向かう。ラジオは昨日あった隣国のニュースを耳障りな機械音に載せて伝える。

『昨日未明、レブネフ中心部の国営美術館が三人組とみられる強盗に押し入られ、同館が借用していた美術品数点が強奪されました。
盗まれたのはドネフ銀貨と呼ばれるコインでコレクターの間で高い人気がある他、使用されている銀の純度が非常に高いことで知られています。
犯人グループは逃走を続けており、レブネフ政府は犯人たちの顔がわかり次第、国際手配に入る見込みです』

顔にバシャバシャと水を掛け無理矢理に頭を起こす。今日からジェームズもいない一人での仕事だ、気を引き締めていかないと。

『冷夏の影響から今年の小麦の収穫が不振です。イルクテージ政府は他国と輸入額を交渉して小麦価格の安定に努めたい方針です』

モソモソとライ麦パンを噛みながら支度を始めた。隣の部屋からうーんという声が聞こえる。どうやら母親も起き出したらしい。職場に行く前に挨拶をしておこうと部屋を覗く。

「ああ、ヂャフダイ。もう行くのかい? 頑張んなよ」

「ありがとう、行ってくるよ」

国営アパートの古びたドアノブを回して俺は新たな職場であるイルクテージ西国境検問所へと歩き始めた。

 

AM7:00

午前七時、これから十二時間が仕事時間だ。だがジェームズいわく街中に検問所のある東と違い、こちらの検問所は町の郊外にあるから通る人は少なく仕事量は大してないそうだ。
俺の住む国営アパートがある西の国境の町からここまで荒れた一本道を歩いて十分ほど、レブネフ側からもそれは同じなようで大体同じくらいの大きさであちらの町を見ることができる。ただ来る人が少ない、というのはジェームズが勝手に言っているだけな気がする。
今もすでにレブネフ側から四人組がこちらに歩いて来る。ジェームズ、気性は良いのだがかなり大雑把な性格みたいだ。あまり当てにするものではないのかもしれない。俺はブルっと首を振る。
一人での初仕事だ、気を引き締めていかないと。


四人組は皆、イルクテージにある工場に働きに出るらしかった。取り敢えずは一人ずつ検問所の中に入ってもらい検問を開始する。
検問所の中は検問官用の部屋と国境通過者用の部屋に別れ、間の壁がくり抜かれた窓口で繋がっている。
さらに検問官用の部屋には机と椅子が用意されており、俺たちは自然見上げながら検問をする事になる。

「お名前は?」

「トム・ボッソー、149年の2月6日生まれだ。イルクテージの工場に働きにいく。他の三人も同じ理由だよ」

男は目立つ赤い毛糸帽を被り耳の先まで覆っている。身長はそこそこ、痩せ型で窪んだ目をしている。

「出身国は?」

ジェームズの所での検問は本当に基本事項しか聞いていなかったが、後から貰った検問官用の規則書には細かくいろいろ書いてあった。全て聞いていては回りそうにないが、最低限パスポートの真偽については確認しておかないと。

「レブネフさ、他も一緒。パスポートとの食い違いはないだろ?」

「ええ、問題ないですね」

受け答えしながらパスポートの裏に記された番号を確認する。『Ah621531』か、Aのhでレブネフ大丈夫そうだ。

「それにしてもさ、検問所がまた開いてくれて助かったよ」

俺は規則書をめくりながらの作業なので暇になったのだろう。毛糸帽のトムは話しかけてきた。

「通れなかったんですか?」

「いや、検問所が開いてない場合はあんたんトコの国境警備隊が簡略的なのをやってくれるんだけどさ、そいつがとにかく酷いのさ」

「通行料だって言って金を取るし、少しでも怪しいと思ったら即通さない、だ。終いにゃ通りたいなら口止め料だとか何とか……。
俺たちは働きに来てんだぜ?検問所の開いてないここ三ヶ月はホント、大変だったよ」

「そんな事になってたんですか……」

最後にパスポートに特殊な光をあてる。特別なインクを使ってある様で通過者には見えない位置に置かれたライトに当てると文字が蛍光色な緑に光るのだ。
やっと確認が終わった。認可の印である黒字でapproveと描かれたハンコを押す。
そうだ、そう言えば確か働きに毎日来る人には通行手形を発行できるのだったか。

「問題なかったです。パスポートをどうぞ、それとトムさんたち毎日通りますよね? それなら通行手形を発行したいんですが」

「おお、そんなのが有ったのか。じゃあ帰りに頼むよ、今は少し時間がない」

「分かりました」

次の方、と言って他を促す。残りの三人はジェームズ式の検問で済ませた。

「問題無しです、パスポートを」

「ああ、ありがとう」

四人目が済むと皆、早足に歩いて行った。思いの外時間がかかったが手形を発行すれば次から手早く済むだろう。
それにしてもあの四人が手形の存在を知らないのは意外だった。
ただ、イルクテージの官営工場で外国人が受け入れられ始めたのはここ半年ほどだ。それ以前はレブネフで働いていたなら分からないでもないか。それに二年前までレブネフとは戦争をしていて、あの町はレブネフ領だったんだ。当然といえば当然なのかもしれない。

 

PM3:00

パラパラと通っていく出入国者たち、俺も特にトラブルなく業務をこなしていた。人の通りが完全になくなったタイミングで国境警備隊の一人がこちらに歩いて来る。
彼らは基本的に国境線を近くの監視場から見張っており、異常を見つけた時や検問官が要請した時だけ駆けつけてくる。
レブネフとイルクテージの国境は周囲から少し盛り上がった草原に杭が打たれてロープを張ってあるだけなので侵入しやすい代わりに監視もしやすい。監視場にある塔から狙撃すればほぼ間違いなく越境者を撃ち殺せるらしい、何とも物騒な集団である。
そんな人が俺に何か用でもあるように真っ直ぐこちらに歩いて来た。不審に思いながらもドアを開け、検問官用の部屋に迎いれる。


警備隊員は名をアレクセイと言った。制服の上から分かる盛り上がった肩にギラギラとした眼つきがいかにも軍人らしい。

「あんたかい、新しい検問官てのは」

親しげに切り出した彼は握手を求めてきた。
グッと握り返しながら答える、彼の目線は少し怖くもあった。

「ヂャフダイです、以後よろしくお願いします」

満足そうに頷いたアレクセイは背中から下ろした長身の銃を撫でながら本題に入った。白手袋で触る手つきは非常に滑らかだった。

「いきなりで何だがヂャフダイ、あんた金に困ってないかい? 親父の残した借金があるだの、病気の母親がいるだの、兄弟がギャンブルで有り金全部スッちまっただの色々あるだろ。
こんな世の中だ、とにかく金はあっても困るもんじゃない。そうだよな?」

念押しするように目を覗き込んでくる、慌てて縦に首を振る。彼の威圧感はどうにも苦手だった。

「俺なんてまさにそうなんだ。生活のために金が要る、しかし警備隊の薄給だけじゃとてもじゃないが暮らしていけない。放っときゃ一家飢え死にだ。
そんな時どうするか、簡単な事だな。足りないなら増やせばいい」

俺は目を見開く、そんな天から金を降らせるなんて事ができるのだろうか。
アレクセイは身を乗り出して話す。

「つまりだな、俺が一昨日までやってた手なんだが、国境通過者から通行料を取ればいいのさ。悪く思う必要なんてないぞ、俺たちの給金の少なさはそういう事やってる前提で払われてるんだ。上から許可は下りてるようなもんさ」

「で、でもダメですよ。ここを通る人たちだって日々の生活に困ってるんだ。辛いのはみんな同じですよ」

今朝ここを通った毛糸帽のトム他、工場に行く四人組の顔を思い出す。彼らの手前という面でも通行料なんてあり得ない話だ。

「なんだ? どうせ通行料なんて払ってもらえない、なんて考えてるのか。大丈夫さ、国境を通すも通さないもあんたのハンコしだいなんだ。皆ここを通る為に来るんだ、渋々でも払うに決まってるさ」

「それに拒否してもらっても構わないんだ、というかこの話のミソはここからさ。正直、反抗して殴りかかってくれたりした方が俺たちにとっては美味い話になる」

アレクセイは口の端をグイッと持ち上げ尖った歯を見せながら笑う。

「俺たち警備隊員は月給の他に不審者を捕らえた時に報奨金を貰える。検問官に手を出すんだからな、捕まえるのに申し分のない口実ができる訳だ。
そうなってしまえばこっちのもんさ。俺に任せてくれ、そのまま警察に引き渡してもいいし、そいつと交渉して解放を条件に報奨金以上の金を搾り取ることもできる」

自信満々に語るアレクセイの言葉には迷いがなく、過去この検問所で何が行われていたか容易に想像できた。
俺はアレクセイのあまりの悪意にゾワリとした悪寒を感じた。首の後ろから冷や汗がにじみ出る。

「折角の申し出ですけど、どうにも俺の性には合わないみたいで……
それに今の業務でだいぶ手一杯なんです、ごめんなさい」

意外そうな顔をして俺の方を見たアレクセイはしばらくするとフンと鼻を鳴らして椅子から立ち上がった。

「ああ、こちらこそ悪かったね。少々自分勝手に考え過ぎていたらしい。君の正義感に目が覚めたよ、今の話は忘れてくれ」

一転して破顔したアレクセイはそのままドアを開けて出て行ってしまった。ただまぁどうやら分かってくれたらしい。そこまで悪い人でもないのかもしれない。
俺はホッと息をはくとまた座り直し、次の国境通過者を待った。

 

PM6:30

「これが手形か、済まんね兄ちゃん」

「ええ、また明日会いましょう。次の方どうぞ」

トム等四人の通行手形を作りおわり間髪を入れずに次の通過者の検問を始める。この時間帯に入るとかなり人がやってくるようになる。
レブネフ側から入ってきた男はニコニコと上機嫌で手には珍しい事に花束を抱えていた。
パスポートを手渡しながら男は喋る。イルクテージの国境を通るのはだいぶ慣れているようだった。

「155年、6月14日生まれレブネフのロドイ・エゴールです。
やっと週末になったのでね、愛しのイリーナに会いに行くんです」

名前その他気になるところはないな、番号もFj081227で特に問題はない。
ガタガタとライトに照らしながら話を促す、ジェームズにも通過者との会話は重要な検問材料だと教えられている。

「別々の国で付き合ってるんですね」

「ええ国境がここに決まってからなんですけどね、元は隣町ですよ。
ただ俺も彼女も、壁に隔たれただけで愛が冷めることなんてないですよ」

得意げに話す彼は明るい金髪を撫でつけ、整えている。二年前の国境戦は最終的に取り合っていた地域を等分するということで決着がついたらしい。
だからこそこの中途半端な位置に国境は位置するのであり、彼のような人々が生じる。こちらの国境線が杭を打っただけの簡素なものなのもそういう理由らしい。最近定まった為にテミュとの国境ほどの立派な壁は作れないのだ。

「どうぞ、パスポートです。良い夜を」

「ああ、ありがとう。また来るよ」

彼の背中は日が落ちて間もない夜の群青に溶けていった。手元の薔薇の赤だけが妙に目に焼き付けられた。
少し身を乗り出して二つのドアについた小窓からこちらへ来る人間がいないのを確認する。外から中を見られない為、検問官用の部屋には窓がつくられておらずかなり不便だ。
どうやら誰も来ていないらしい、今日の検問はこれで終了だろうと二つのドアに鍵をかけた。レブネフ側には検問官部屋のドアがないのでそちらは内から、イルクテージは外側から鍵を回す。簡素だがしっかりとした造りだこちらに金を回す余裕があるならもう少し検問所自体を立派に作ってほしかった。これでは少し大きな小屋だ、軽く溜息をついた。

戸締りも終わったので最後に報告書を書き始める。今日入国した人、出国した人の名前と番号だけ書き管理局の役人にジェームズ側のものと照らし合わせてもらうのだ。
次の日になると出国予定の人や危険人物、その他細々とした指令を記した通達書が送られる。小一時間ほどで書き上げるとおおよそ七時、俺は帰路についた。

 

183年10月5日

PM2:00

「イアン・アルミロです。テザンメルから来ました、観光で3日くらい滞在します」

「テザンメルから観光ですか? イルクテージに観光地なんてあったかな」

明るい印象を受ける20代前半ほどの男、イアンは大きく膨らんだ荷物を背負いいかにも旅行者という出で立ちだった。
番号はIi779031、テザンメルの男性で間違いない。

「俺、テザンメルの周辺国を歩いて旅してるんです。
テザンメル、キングフリク、レブネフと来たので次はイルクテージだ。なんて思ってたんですけど、パスポート申請に時間がかかってしまって。
旅行者の間ではすごく有名なんですってね、イルクテージは入国審査が厳しいって。でも、だからこそ来る価値があると俺は思うんですよ」

「確かにレブネフ側には検問所すら無いですからね。それにしてもテザンメルからキングフリクに入ったんですか⁉︎ あそこはまだ戦争が続いてるらしいですけど」

「それは国境の一地域の中でだけですよ、俺たちは普通に生活してますしキングフリクにだって簡単に入国できます。国同士が戦争してるからって国民同士の交易がなくなるわけじゃ無いですからね」

テザンメルはイルクテージと南の国境を分かつ大国で、イルクテージも一時この国に統合されていた時期があった。
キングフリクはさらにその南、テザンメルとレブネフに面し炭鉱を巡ってテザンメルと戦争をしているとか。

「どうぞ、良い旅を。一週間以内には出国してしまってください。じゃないと検問所で超過料金を払うことになります」

「はは、大丈夫ですよ。そこら辺の規則は少しは勉強してきてます」

イアンは軽く手を挙げながらイルクテージの西国境の町へ歩いて行った。今日は日差しが良くとても過ごしやすい気温になっていた。

 

PM6:00

辺りが暗くなってきた頃、レブネフ側から人影が歩いて来るのが見えた。ソワソワと仕切りに右袖に手を当てて歩いており流石のヂャフダイも不審を感じ取った。

「パスポートをお願いします」

静かにドアを開けて入ってきた人影に声をかけた。
スッと無言で古びたパスポートを渡される。上からのランプの光で照らされ、やっと俯いた人物の姿が露わになる。しかし、フードを目深にかぶりジッと靴先を見つめるような姿勢の小柄な影は顔の判別すら難しい。

「生年月日とお名前を、それと規則なのですいませんが顔を上げてこちらを見ていただけますか」

ゆるゆると上がった顔は頰から何本か方々に髭の生えた小柄な男だった。低くこもった声でボソボソと喋る。

「124年4月3日だ。マース・レトベック、テザンメルから来た」

番号はCs405147、テミュの番号だ……。不審に思い質問を重ねる。その裏で密かに机の裏に手を忍ばせ、警備隊に出動要請を送る。彼らが来るまでは大体六、七分。それまでに荷物検査まで終わらせられるだろうか。

「入国の目的は?」

「あっ。と、通るだけです。テミュに用事があって」

オドオドと声を詰まらせながら男は答える。

「テミュに、ですか?お仕事か何かを」

「えぇ一応銀行にいまして」

ライトは問題がない。他の人物のパスポートを使っているのだろうか。

「では身体検査と荷物検査を、お荷物お預かりしますよ」

男の顔がサッと青ざめたように見えたがすぐに顔を俯かせたので思い込みだったのかもしれない。渋々といった様子でカバンを差し出した男から荷物を受け取り中を検分する。
カバンを覗き込みながら上目に男の様子を見る。ジェームズから教わった方法だが、案の定男が袖をゴソゴソとやった後にしゃがみ込む。

「えとナイフに服、財布と毛布ですか。けっこう簡単ですけどこれ以上は」

急に聞かれたからなのかビクッと肩を震わせた男は急ぎ身体を起こし、俺の質問に相変わらずのオドオドとした声で答える。

「テミュの方に友人がいるので、そこまで荷物は必要ないんです」

「異常はなし、ですね。次は身体検査です。まず靴を脱いでください」

男の様子が一変した。何事か喚きながらイルクテージ側のドアをこじ開ける。

ガコンッ

硬い音が響いたと思うと男が仰向けに倒れた。ちょうど警備隊がついたところだったらしい。長身銃の銃床部分で殴り倒したようだ。アレクセイではない、少しホッとした。
駆けつけてくれた警備隊員に一言礼を言うと、さっきの男の動きが気になり足元の方を探った。すると左足の靴下の内側に何か押し込まれている、指を突っ込んで引っ張り出す。

「これ、銀貨ですかね。少し輝きが鈍いですけど」

出てきたのはくすんだ白銀色の少々大きめのコインだった。詳細を知るため、駆けつけてきた警備隊員にも見せる。

「んー、どうかな。俺も銀貨はあまり見たことないけどこんな色だったかな……。でも何か文字が掘ってありますね」

見ると確かに溝のようなものが見え何とか判別できるようだった。警備隊員が読み上げる。

「ええと、ドネ……イ? いやこれはFかな、なら」

ドネイ? 何か聞き覚えのあるような……。と思ったとき同じような単語を最近聞いたのを思い出す。

「わかった、これドネフ銀貨だ。そういえば、いつかのラジオで美術館から盗まれたって言ってました。犯人はこいつだったのか」

「本当ですか⁉︎ じゃあ相当なお手柄ですね。報奨金、楽しみだな……」

その後、遅れて駆けつけた警備隊員たちに男を任せ俺は再び検問官室の椅子に座る。業務時間まではここを離れる訳にはいかないのだ。

 

183年10月8日

AM6:00

『6時になりました。イルクテージと隣国のニュースを家庭に、ドルフズク日報の時間です』

コイン泥棒の一人を捕まえてからあっという間に三日が経った。

『先日、イルクテージとレブネフの国境検問所で捕らえられた強盗グループの一人は現在イルクテージ警察の手で取り調べが行われています。
既にかなりのところを自白しており、犯行当日の状況も判明しています』

「どうだい母さん、こいつ俺が捕まえたんだぜ。検問官きっちりやってるだろう」

「あぁ、あぁそうかい。もう何度も聞かされたよその話は。有能検問官のヂャフダイさんが何食わぬ顔で国境を通ろうとした男を鋭く見破ったんだろう?
まったく、何処までが本当のことだかねぇ。大方犯人の方がとんでもないヘマでもやらかしたんだろう」

『の情報を元にレブネフ政府は引き続き残りの二人を追っています。
また、犯人逮捕に伴い押収した銀貨は無事イルクテージ政府からレブネフへ送られました。レブネフ国営美術館も美術品の貸与元であるテザンメル国際美術館に一応の面目は保てそうです』

 

PM1:00

「そう、あのドネフ銀貨っての?テザンメルの美術館から借りてたって。レブネフは今頃大変だろうね。返せなきゃ本当にあの大国テザンメルの怒りを買ってしまう」

「その意味じゃヂャフダイさんなんてレブネフにそのうち表彰されるんじゃないですか?
英雄ですよ、国の危機を救った」

アハハッと気持ちのいい笑い声で警備隊員は笑う。彼は先日のコイン泥棒を殴り倒してくれた人で名前をハンスという。
ハンスとはあれ以来たまに話すようになり、何かと気が合う事がわかってきた。

「それにしてもアレクセイさん、あの人はいつもあんな感じなの? 俺ちょっと苦手でさ……」

「ああ、あの人はかなりやり手だからねぇ。噂じゃ国境管理局の上層部とも直接繋がってるらしいし。けっこう攻撃的なところはあると思う」

苦笑いしながらハンスは答える。国境検問の事について聞きたかったのだが、ハンスも知らないのかもしれない。

「お、ヂャフダイにお客さんだ。お互い仕事頑張ろうぜ」

言い置いてハンスは検問官室のドアをバタンと閉める。程なくイルクテージ側から着飾った若い女性が入ってきた。

「ここが検問所? 驚いた、随分歩くのね」

小綺麗なズボンとシャツの細身の女性だった。革製だろうか艶やかなカバンを提げている。

「パスポートをお願いします。名前、生年月日とパスポートを作った国を」

「えーと161年の2月22日。エレナ・アスハルです。イルクテージのパスポートね」

番号はBa864007。言っていることに間違いはない。

「お買い物ですか?」

「ええ、あっちの町の方が色々あるもの。イルクテージの町はダメね。服屋さんも暗い色のばっかりだし、店の数も少ないわ」

「出国後一週間を過ぎたら罰金ですので気をつけてください」

「ええありがとう。閉門までには戻ってくるわ」

にこやかに答え、パスポートを受け取った彼女は町の方に歩いて行った。それにしてもアスハルか……聞き覚えのある名前だったが。

 

PM6:00

「へえ、兄ちゃんが捕まえたのか。あのコイン泥棒」

業務開始から一週間過ぎ、毎日顔を合わせるトムたち工場出稼ぎの四人とはかなり打ち解けた。やはり彼らもコインについては気になっていたみたいだった。

「おお、もうこんな時間か。早く帰らねーと女房にどやされちまうよ」

「何言ってんだ、お前んとこの女房だぜどやすだけで終わるタマかよ」

「うるっせえ」

ハハハハと温かな笑い声が場を包む。

「じゃあま、兄ちゃんも頑張んな」

そう言って出て行く彼らの前に人影が現れた。昼にきた女性が帰ってきたようだ。


「はあ、やっと着いた。遠いのねーここの検問所」

「テミュ側との国境は街中にあるんですけどね、国境の上に立つのは検問所の宿命何です」

「まぁいいわ、さっさと終わらせてちょうだい? 早く家に帰りたいの」

そう言ってパスポートを放り投げる。ポスッと受け取ると白インクのハンコを取り出す。これは検問所を通り元の国に帰ったという証明で出国か入国のハンコの上から押す。
これが押されていないパスポートは逆に不法通過の証明にもなるのだ。

「ところでアスハルさんはあちらで何を買われたんですか?」

「なに、興味あるのしょうがないわね」

口ではそう言いつつも満更ではなさそうにカバンから布に包まれた物を取り出す。丁寧に梱包されたそれは銀色に光る細いネックレスだった。

「見て、綺麗でしょうここの細工。レブネフの職人が手作業で作ってるんだって」

彼女の示した細工は先に付いた金色の珠に薔薇のツルが巻きついているデザインだった。珠には直接美しい薔薇の花が彫り込まれている。

「そういえばそのネックレス、材料は?」

輝く金色が気になったので、一応聞いておく。

「金だけど? それがどうかしたの」

それはマズイ!
思わず頭の中で叫ぶ、慌てて女に説明する。経験したことがなかったがこれも仕事の一つだ。

「ええとですね、イルクテージには輸入に関する規則がいくつかありまして……」

突然説明を始める俺を怪訝な表情で見つめるアスハル。しかし、そんな事に構ってはいられない。

「その中に金などの貴金属を持ち込む場合の規則もあるんです」

アスハルは目を丸くして手元のネックレスを見る。

「じゃあ、私のネックレスは押収されるって事ですか?」

「いきなりそんな事はありません。ただ、輸入税としてそのネックレスの値段の10パーセントを支払っていただきます。
と、言うのも金をはじめとする貴金属はイルクテージ国内では贅沢品として価格が10パーセント上昇するんです」

「だから、持ち込まれる時に10パーセントを回収しておかないと金の輸入だけで莫大な利益を産まれかねません」

「このネックレスの10パーセント!」

アスハルは飛び上がって叫ぶ。よほどの高級品だったらしい、そこまでの手持ちは今ないと訴えてきた。

「しかし困りましたね、俺も検問官と言う立場上そのネックレスを持たせたまま国内に入れるわけにはいけませんし……」

アスハルは困り切った様子で頭を抱えている。このままではどうにも進まなそうだ、とりあえず解決策だけ示す。

「分かりました、こうしましょう。俺がネックレスを預かっておきます。ですからアスハルさんは一旦家に帰って輸入税分を払えるお金をここに持ってきてください、そうしたら渡しますよ。
大丈夫、神に誓って盗んだりしません」

「分かりました、パパにお金をもらってきます。すぐに戻りますからここは開けて待っていてください」

「お父さん? 失礼ですがお仕事は」

この国にそんなに簡単に金をポンと渡せる人間がいるだろうか、気になったので聞いてみる。

「あら、知らないんですか。検問官さんも西国境の町にお住みでしょう?
パパは町医者ですよ、皆さんからはアスハル先生なんて呼ばれていますが」

町医者のアスハル!思い出した。どおりで彼女の名前に聞き覚えがあったはずだ。

「では、ちゃんと預かっていてくださいね」

アスハルは手を振りながらドアを閉める。おれは机の引き出しに丁寧にしまった。

「次の方どうぞ」

同じくレブネフ側から入ってきたのは初老の男性。白い顎ヒゲが象徴的だった。

「メロ・アーネット、132年の12月17日。イルクテージから来ました。アスハルお嬢様の執事でございます」

男はそう名乗るとネックレスを渡すよう要求してきた。

「輸入税は私が払いますので……このままではお嬢様はお父様、ご主人のアスハル様に叱られてしまいます。私の不始末だったのです、申し訳ございませんが……」

眉を寄せ困ったような表情を見せてくる。番号はLe579412、パスポートは本物らしい。

「出る時はテミュから? 行きはアスハル嬢と一緒では無かったんですか」

「ええ、アスハル様の言いつけで三日前にテミュから出たました。帰りはこちら側でお嬢様のお供をするようにとも」

「アスハル嬢は貴方を待つようなそぶりは見せていませんでしたが……」

「こう言っては何ですが、アスハル家の皆様は利己的な方が多いというか、その……」

いい辛そうに顔をしかめる。どうやら嘘は言ってないみたいだった、大体赤の他人が執事を語る事なんてある訳がない。俺は輸入税の代金を告げる。
執事は財布を取り出すと金を置く、よく確認して俺はネックレスを手渡した。

「どうぞ、アスハル嬢のネックレスです。高圧的な物言いですいませんでした、何分こちらも仕事なので」

「なに、構わないですよ。急に執事だと言われても怪しいだけでしょうから……。検問官としてしっかりしていなさいます」

「どうぞ、パスポートです。アスハル嬢にはよろしく伝えておいて下さい」

俺の言葉に軽く一礼して執事は去っていった。物腰の丁寧な人で話していてとても気持ちが良かった。

 

PM6:50

日も暮れ、街に温かな光が灯り始めた頃にアスハルさんは戻ってきた。お礼でもいいにきたのだろうか? なかなか礼儀正しい人なのかもしれない。

「持ってきたわよ、輸入税代! 約束どおりネックレスは返してもらうわよ」

「ネックレスですか? 後から来た執事さんに渡しましたよ、メロさんって言ったかな……」

「は、執事? そんな人知らないわ。つまらない冗談はやめてよ。ええ、まさか本当にそんな奴の言うこと聞いて渡しちゃったの」

明らかにアスハル嬢に嘘をついている様子はない、俺が騙されてしまったんだ。頭の中が真っ白になってしまう

「どうするのよ! あのネックレス安くなかったのよ。全部あなたの責任だわ!
弁償しなさいよ、管理局にも訴えてやるわ」

あまりの衝撃に言い返す気力も起こらなかった、あの人の良さそうな執事が俺を騙していたなんて……。

「何とか言ったらどうなの、ねえ!」

「まあまあ、そこら辺にしてやって下さい」

背後から男の声が聞こえる。未だに真っ白な頭を回して振り返った。
男は検問官用のドアから中に入ってきていた、俺は声にならない声をあげて思わずその場に突っ伏す。
アレクセイだった、例の自信にみなぎった様子でカツカツとこちらに歩み寄ってくる。そのまま俺の頭の上で交渉が進んでいく。

「彼も検問官になって日が浅いんです、ネックレスの金は払いますからこの事は我々だけの秘密にしておいてもらえませんかね」

「でも、これは完全に彼の落ち度だわ。何で私まで迷惑しなきゃいけないのよ」

「お嬢さん、あんた確か町医者のアスハルのところの子だろ? あんただって父親に金の密輸のことがバレたら困るんじゃないか?」

「ただ知らなかったのよ、それに国内に持ち込んではないわ」

「そんなの俺たちの受け取り方次第だからな、未遂だって持ち込もうとした行為には変わりないんだ立派な犯罪だよ」

「でも、でも」

「だから金を受け取って満足してくれませんか? 俺たちだって公にはしたく無いんだ。痛み分けといきましょうや」

アレクセイの言葉に折れ、コクリと頷いたアスハル嬢に後で金は送ると付け加え、この狡猾な男は俺とともに彼女の背中を見送った。

広くもない検問所、中に束の間の静けさが訪れる。なにを言われることかとビクビクしているとアレクセイがやっと口を開いた。

「一度通ったはずの女がまた来たからな、何事かと思って来てやったんだが……まあ何だ、災難だったな」

意外にも労ってくれる、不思議に思って顔を上げると、次の言葉は相変わらずのアレクセイで落胆した。

「あいつからネックレスを巻き上げるつもりだったんだろ?
にしてもやっぱりあんた、金儲けしてたんだな。隠さなくたっていいぞ分かってる。
通る奴らからああやって金品を押収して売り払ってたんだろう」

「違いますよ、さっきのは事故みたいなもんです。前にも言ったでしょう、こんな辛い世の中皆で助け合っていきていくのが大事なんです」

肩をすくめるアレクセイ、俺も既に彼がこのくらいで動じないのは理解していた。

「何にしても助けてやったんだ、そろそろおれの提案を受け入れてくれよ。一人でコソコソ稼ぐんじゃなくてさ」

「だからそれは」

「それにな」

反論の上から言葉を被される、黙って聞けと言う事だろう。

「その気がなくても今回の事であんたは俺に一つ、借りができたわけだ。ネックレスの金の半値はよこしな」

「な、なに言って」

「ネックレスを本当に盗られてたとしても、今まで溜め込んできた分があるだろ?
あんた、着任早々に例の美術品泥棒を摘発して上官たちからのウケがいいんだ。こんなつまらない事で評価を落としたくないよな?
あの娘が国境管理局に何か言っても大丈夫なように事故って報告しといてやるから」

最早、拒否する余地は残されていないようだった。観念して金を払う意思だけは伝える。アレクセイはニヤッと笑って上機嫌に検問所を出ていった。

 

PM9:00

家に帰っても俺の気分は暗いままだった。家にある蓄えを全部出しても、金は足りない。出来れば避けたかったが借金を背負うしかない。幸い、このアパートは家賃だけは安い住む家は何とかなりそうだ。ただ……

「ああ、帰ったかいヂャフダイ。ジャガイモのスープがあるから飲んでいいよ。私はもう寝るから」

どうも最近母親の調子が良くないようなのだ。今もゴホゴホと咳をしながら部屋に入っていく。元々住んでいた港町よりここは標高が高いらしく、冬の寒さが一段と厳しいのだ。
慣れない家に冬の寒さが不調の原因だろうか。

 

183年10月19日

AM6:40

今日は特に寒い、俺はストーブに薪を放り込んだ。薪は、ジェームズと共に上と交渉しに行きやっと支給されたものだ。そろそろ本当にストーブがないとやっていけない寒さになって来ていた。
ブロロロロと言う音と共に一台の高級車が検問所の前に止められた。中から四十代後半ほどの男が降りてくる。制服から俺たち検問官も属する組織、国境管理局の人間だと分かった。急ぎ服装を整える、それはつまり自分の上官という事になるのだ。
ガチャリとノブを回し男は検問所に入ってきた。毛皮を贅沢に使ったコートを着込んでおり、顔には左目の下から首の辺りまで続く傷痕が残っている。軍人上がり、と言う事だろうか。

「君がヂャフダイ君か、どうだね上手くやっているかい?」

低く落ち着いた声で男は語りかけてきた。俺は椅子から立ち上がると肯定の意を示す。

「そうか、なら問題ない。ああ、言い忘れていたな私は国境管理局の副長官をやってるヴァスルという者だ。君にとっては上官にあたるな。
今日来たのは他でもない、報奨金を渡すためだよ。いや、君の働きぶりにはとても助けられていてね。レブネフとの交渉で少々悩んでおったのだが上手くいきそうだ」

そう言いながら懐から取り出した分厚い封筒を手渡される。俺はありがたく受け取った、両手で持ってさえズシリとくる感覚に口元を綻ばせる。最近、金欠で本当に困っていたのだ。これで借金を返す当てはできた。

「それと一応なんだが、検問室を改めさせてもらうぞ。君は部屋の中央に立ち、一歩たりとも動くんじゃないぞ」

そう言うとヴァスル副長官は、机の引き出しから物置の中、床板を剥がせないかまで一枚一枚確認し始めた。
俺が怪訝な顔をしていたからだろうか、ここまで徹底的にやる理由を教えてくれた。

「いやなに、君の前任の検問官が検問所で麻薬の仲介をやっていてな。レブネフ側との国境は荒れてるからやり易かったんだろうが……。あの時は流石にウチもかなりの打撃を受けてな、それから検問所の定期点検が義務付けられたわけだ」

広くもない検問所の事だ、あっという間に点検は終わった。

「何も問題が無くてホッとしたよ。そうだ、まだ着任して二週間強だったか。何か聞いておきたい事はあるか、気になることとか」

そう言われ、少し迷いはしたが俺はアレクセイについて話しておく事にした。通行料のこと、強請の事……思いつく限りの彼にまつわる悪事をヴァスル副長官に報告する。

「ほぉ、そんな事になっていたか……。分かった注意しておこう。君も大変だったな。では引き続き自分の業務が何であるかしっかりと自覚して仕事に励んでくれ」

そう言い置くとヴァスル副長官は再び高級車に乗り込んで町へ走っていった。俺は上官の去った方へドアを開け放したまましばらく敬礼していた。

 

PM5:00

この辺りの時間帯から雪が振り始めていた。
パキパキと薪の燃える音を聞きながら、俺は報告書を書いていた。しばらくの間、紙にペンを走らせる音だけが異様に大きく聞こえていた。
ザクザクと積もった雪を踏む音にハッと我にかえる、没頭して書類を書いていたらしい既に時計は6:40を指していた。
コンコンとドアがノックされた後イルクテージ側のドアから女性と彼女の服にすがる子供が検問所に入ってきた。俺は居ずまいを正した。
恐らく親子であろう二人はキレイな青い瞳で俺の方をジッと見つめる。

「パスポートと名前、生年月日をお願いします。出身はイルクテージですよね?」

さっそく検問に入ろうと女性に指示を送るが女性はフルフルと首を振り、恐る恐るといった様子で口を開いた。

「あの、私たちパスポートを持っていないんです……。ただイルクテージ国民ではあります、どうか通してください」

「ええと規則に従うと、パスポートを持っていない方はたとえイルクテージ国民であっても通せないんですが」

「お願いします、この子が病気で……。私の稼ぎでは町のお医者様に連れていけないんです。
ですが、レブネフ側に行けば親切な先生がいます。私たちには何かできるお返しは有りませんが人助けだと思って、お願いいたします。必要な事なら何でも答えます、何でもしますから、だから……」

深々と女性は頭を下げる。俺は困って子供をよく観察した。まだ幼く、柔らかそうな髪がゆるく巻いている。見たところでは病気の風ではない。
どうにも信ずるに足る証拠がない。そうでなくても俺はお人好しで騙されやすいらしい。アスハル嬢の時のような事はもう起こしたくなかった。

「出来ません、規則は規則です。冷たいようですがこれが俺の仕事なんです、分かってください。明日、ちゃんと書類を用意して改めてお越しください」

「そんな時間は無いんです、パスポートは最低でも作るのに三日かかると言われました。そんなに待てないんです、だから」

「俺も言う事は同じです、どうか帰ってください」

心を鬼にしなければ、不法出国は取り締まれない。俺は女の言葉にまったく聞き耳を持たず親子を町へ返した。
これで良かったんだ。夜に降る雪はひっそりとその欠片を平たい白の地面に沈み込ませていた。

 

183年10月24日

PM3:00

19日以来、変わった事が一つある。警備隊が検問所の横に常駐するようになったのだ。来る隊員たちは皆、アレクセイに言われたとしか答えない。更にヴァスル副長官の言う処罰というのも行われている気配はなかった。
どうにもスッキリしない気分で俺は日々を過ごしていた。
なんて事を思っているとイルクテージ側から通過者が来た。俺は規則書を引っ張りだす。

ガチャ

「どうも」

短く発された声になんとなく聞き覚えがあり、顔を上げると俺は息を呑んだ。
服装こそ変わっているが、青い眼に細身の体つき。先日、パスポート無しで国境を通ろうとしていた女性に間違いない。
取り敢えずは業務を進める事にする。

「パスポートと名前、生年月日を。今日はお子さんと一緒ではないんですね」

パスポートを取り出していた女性の眼が潤んだ気がした。そのまま俯いた彼女から細い声が絞り出された。

「あの子は……。あの次の日に、雪の積もったとても寒い日に、死にました」

俺は目を見開く、何か鋭い刃物で胸と言わず手と言わず抉られたような感覚だった。俺があの時通していれば、など最早想像したくもなかった。

「いいんです、落ち度は私たちに……あの子の体調を日頃から気にかけていなかった私に、前もってパスポートを作っておかなかった私にあるんです。
あなたは検問官として当然の事をしただけです、気に病む必要はありません」

まだ、ブルブルと手が震えていた。俺はあの子をあんなに幼い子を見殺しにしてしまったのか。

「もういいんです、あなたを恨むような事はありません。
ただ、もう私はこの国を出ていきます。祖国ではありますが、私のような人間にはこの国はとても住み辛いのです」

落ち着くためにもパスポートの確認をする。ソフィヤ・ブルーノス、150年の6月29日。番号はBk198361……ダメだ、まったく頭に入ってこない。自分が何をやっているのか分からずとにかく黒のハンコを押した。女性は何も言わずただ、俯き細かく震えている。

「どうぞ、パスポートです。あなたが幸せに暮らせるように祈っています」

パスポートを手渡された女性は無言でレブネフ側のドアを開け、出ていきざま一言残していった。

「あの子がベッドで冷たくなっていた時、私の人生の幸せは喪われました」

静かに閉じていくドアがただ、とても恐ろしかった

 

183年10月27日

AM10:00

ずっとブルーノス親子について考えていた。あの時の俺はこの先を検問官として生きるか、人として生きるかの分岐に立っていたのかもしれない。あの時、俺は自分の決定に絶対の自信を持っていた。確たる証拠がなければ絶対に通さない、その決意があった。
だが、今の俺にはもうそんな自信なんてない。

「パスポートを持ってない? では通す事は出来ません。規則では」

「でも!三年前に戦争のイルクテージから父が逃がしてくれて、その時に戸籍は無くなってしまったって言ったでしょう?
その時に私は何もかも失くしてしまったのだけれどレブネフで親切な方に会ってね、今は普通に生活を送れてるの。
でも両親は違う! 私を逃がしてくれた時、父も母も何も持っていなかったのよ?
一年目は何とかなったかも、二年目もそう……。だけどこうやって連絡も取れずに月日が経つうちに不安は日に日に募っていくの。
今年こそ本当に父も母も厳冬のイルクテージで凍え死んでしまうかもしれない。お願いです、だから」

肩まで伸ばした金髪を振り乱して必死に訴えてくる。彼女の表情には鬼気迫るものまで伝わってくる、此処まで言われては断る理由がなかった。

「分かりました、通ってください。それとこれを、何かあった時には一応の身分証になるので」

そう言って、難民申請が通った時のみに渡される入国許可のハンコ入りのカードを渡す。女性は何度もお礼を言って出ていった。
外では国境警備の隊員が空砲を鳴らしている。検問所の傍に常駐するようになってから時折彼等はそうしており、少し不思議だった。

 

AM12:00

冷たい風が丘の草原をサワサワと撫でる。どれも枯れ草なので乾いた音が辺りを包みこむ、二、三は風に巻き込まれ上空に運ばれていった。
そんな中、レブネフから車が走って来た。かなり急いでいる様子で門が目前に迫ってもスピードを落とす気配はなく、急停車した。中から整った服装で茶色い口ヒゲの目立つ男性が降りてきた。
彼は検問所に入ってくるなり物凄い剣幕で怒鳴り込んできた。目は充血し、顔には青筋が浮かんでいる。

「お前か! 美術品の泥棒を捕まえたって検問官は。見つかっていないコインはあと四枚もあるんだ、お前が何枚か隠し持ってんだろ。大人しくレブネフに渡せ」

どうもイルクテージに入国をする為ではなく、わざわざ俺に会うためにこの検問所に来たらしい。男はレブネフの外交官のトミス・ブラッドだと名乗った。

「一枚戻してしまえば後は金にしようと盗んだんじゃないのか? 格好を見る限り金に苦労しない身分、とはいかないようだし」

「言いがかりはやめて下さい。奴の遺体は上層部に引き渡しました、俺は何もしてないです」

「どうだかな、イルクテージの役人はどいつも薄汚いことで有名だから。上官の目を盗んでコインを取っていく、なんて簡単な事だろう」

それに、と外交官はカバンから書類の束を取り出した。パラパラとめくり始める。

「これだ、本当にイルクテージはどこも腐ってるな! 銀貨の返却に法外な金額を要求した次は下っ端を使って銀貨を渡すのさえ拒否するってのか」

外交官が俺に見せて来たのはヴァスル副長官からレブネフへの要求をまとめた文書らしい。

『先日の銀貨について。当国は貴国との末永い友好関係を築く意思がある事は前もって伝えておく。
その上で現在の状況を鑑みたところ、犯人逮捕及び銀貨の確保は当国検問官の功績によるところが大きいと判断し、当国政府は貴国に対し謝礼金他の種々の配慮を願う。
具体的には国境付近工場での協同軍事研究費用の八割負担、現在輸入中のレブネフ産小麦の価格調整などが挙げられる。
当国としても、貴国に銀貨を返さず大元のテザンメルに直接渡すのは心苦しく貴国政府の賢明なる判断を期待したい所存である。

国境管理局副長官 ゲラシム・ヴァスル』

「信じられるか、銀貨返却に金を要求したばかりかウチの国の輸入品までもっと安くしろなどと……ふざけているとしか思えん。
直接話させろ、このままでは納得いかんぞ」

激昂するブラッド外交官に気圧されながらも俺はなんとか言葉を引き出す。

「あので、ですからここは検問所でしかも俺は上層部とは何のつながりも持たない下級役人ですから……通せと言われればパスポートを拝見させていただいて通しますがそれ以上のことをしろと言われても」

俺の困り切った表情にブラッド外交官もやっと我に返ったようだった。

「そ、そうか……それもそうだな、お前に言っても詮ない事だったか。
悪い事をしたな、文句は後日文書で送ることにするよ」

そう言って出て言ったブラッド外交官はそのまま車に乗って帰っていった。解放され、ホッと胸を撫で下ろした。それにしてもさっきの文書、国境付近での協同軍事研究がどうのと書かれてあった……。この辺りで何か行われているのだろうか?

 

183年10月28日

AM4:00

早朝、何となく目が覚めた俺の耳に隣部屋から唸り声が聞こえて来た。慌てて駆けつけると母親が寝床で赤い顔をしている。
駆けよって額に手を当て、その体温の高さに驚いた。およそ、人の体温とは思えない程の高熱だった。

「大丈夫、母さん? どうしたんだよ昨日は珍しく元気そうだったろ」

「すまないね、ヂャフダイ。母さん、少し無理をしすぎたみたいでね。もう何日も悪寒が取れないんだよ」

「と、とにかく医者のところへ」

言いかけてハッと気付く。家には医者に行くほどの蓄えはなく、俺には町医者のアスハルと少し嫌な因縁があった。

「母さんなら大丈夫だから、ヂャフダイ。この熱もただの風邪だよ一日寝て入れば良くなる。あんたは早く自分の仕事に行きなさい」

言うだけいうと目を閉じてしまった。心配だったが仕方がない。俺は母親の言葉に従い仕事の準備を始める事にした。いかなる理由があろうとも検問所を開かないということは許されないのだ。

 

AM6:43

俺が検問所に着いてすぐの事だった。
いつかと同じく、検問所の前に高級車が止まる。
降りてきたのはやはりヴァスル副長官で、俺は敬礼で彼を迎えた。

「昨日ここにレブネフの外交官が怒鳴り込みに来たと聞いてね……平気だったかい?」

俺は少し驚く、そのことは誰にも話していなかったのだが……。恐らく常駐の警備隊員に聞かれていたのだろう。

「それで、まあ私の用事というのはいくつか確認したいことがあってね。
君、その外交官から何か見せられなかったかい?もしくは何か聞かされたとか」

俺は昨日の記憶を探る。レブネフの外交官、名前をブラッドと言っただろうか。彼に見せられたもの……。

「ああ、そういえば。ヴァスル副長官の文書を見せられました」

「内容は?」

「確か、銀貨返却に関する要求だったかと。協同軍事研究とか小麦の輸入額とか……」

「よろしい。よく知らせてくれたね、いやなに。そのブラッド外交官に我が国の機密を握られたという噂があってね、手掛かりを得られると思ったんだが。
その様子では本人も恐らく知らないな、問題ないだろう。
邪魔をしたな、引き続き業務に励みたまえ」

「はい、失礼します」

「あぁ、それと」

帰りかけたヴァスル副長官だったが何か思い出したかのようにクルリと体を反転させる。

「時に君、家族はいるかね?」

「はい、母親と生活していますが」

「そうか、大切にするんだぞ」

そう言ってヴァスル副長官は行ってしまった。前回の訪問よりも短く、まさに嵐が来て過ぎていったような感覚だった。もしかしたら気にかけてもらっているのかもしれない、副長官の期待に報いるため俺は仕事に戻った。

 

PM1:30

家に残して来た母は苦しんでいないだろうか?心配するなと言っていたがあの熱だ。そんなの嘘に決まってる、帰ったら本当に医者を見つけないと……。そう言えば誰かがレブネフ側の町に親切な先生がいると言っていたか。
あれこれと考えているとドアがガチャンと開いた。
俺は仕事に頭を切り替える。

「パスポートと名前、生年月日を。出身はイルクテージですか? 」

大きなカバンを持った比較的若い赤毛の男だった。

「ネブィ・ロードです。イルクテージの生まれですけどパスポートを作ったのはキングフリクですね、158年の3月19日が生まれです」

Da617014、インクも正常。問題はなさそうだ。

「入国の目的は?」

「港町に行くためです、久しぶりの故郷なんですよ」

「へえ、俺も港町の出身なんです。同郷の人と会えるのは嬉しいな」

「あれそうだったんですか」

その後、しばらく話し込む。久しぶりに楽しい時間を過ごせた気がした。

 

183年11月1日

PM5:00

その男はふらりと検問所に現れた。

「なぁ兄ちゃん、通してくれよ。俺はこの中に用があるんだ。イルクテージ、医者に行けない病人だらけなんだってな」

男は端の方が破れ、全体的に薄黄がかった白衣を着ており本人の名乗るように医者とも見えなくはなかった。男は自身をレアンドロと名乗る。

「パスポートは?持ってないなら通すことはできませんが」

「そこを何とか! 頼むよお兄ちゃん……。そうだ、お兄ちゃんの家族だか友達だかの中に病人はいるかい?
タダで診てやるからさ、ここを通してくれよ、なっ」

拝み込んでくる男の言葉に少し心が動く、ここで入れてしまえば俺は母親を診てもらえる……。だけど、自分の利益の為に検問官の権限を使うなんて。
でも、母親を助ける為なら……。

「……分かりました。このカードを持って行ってください、中での身分証明となります。
本当に診てくれるんですよね」

「おうよ、俺に任せな。で? どこの家だ、居場所が分からなきゃ治せるもんも治せないぞ」

「分かりました、八時にこの場所に来てください、迎えに行きます」

「おう、分かった。じゃあ後でな」

レアンドロの背中を追うように警備隊の空砲が鳴る。
遂にやってしまった。これでは本当に今まで拒否してきた人たちに申し訳が立たない。
ブルーノス夫人のあの青の瞳を思い出す。
今ならあの人の気持ちがよく分かる。何であの時、彼女の気持ちを少しでも考えようとしなかったのか……。
俺は完全に迷いに囚われた。

 

PM8:00

俺が待ち合わせ場所に指定した路地奥に行くとレアンドロはすでに俺を待っていた。

「お待たせしました、こっち何ですけど……」

案内をしようと近づいた俺はレアンドロの不機嫌な顔に気付く。

「どうかしましたか」

「どうもこうもねえよ、クソが」

吐き捨てるように言った。

「何なんだ? あいつらはよ、俺が検問所を出て西の国境の町に入ろうかってところで国境警備隊に捕まったんだよ」

え? 虚を突かれて俺は固まる。すぐに浮かんだのはあのアレクセイの顔だった。

「不法入国なのは分かっている、見逃して欲しかったら金を置いていけって命令されてよ……有り金を搾り取られちまったんだ。
どうしてくれんだよ!」

やられた、あの空砲はそういう事だったらしい。俺が検問所で見逃した人たちを町に入るところで捕まえて強請っていたんだ。まさか、俺のやってきた事がここまで裏目になるなんてな。
泣きたいような気分だった。俺はいつも自分が正しいと思った道、他人が不幸にならない道を選んできたつもりだった。ここで初めてイルクテージという国の恐ろしさに気付いたような気がする。

「警備隊には狡猾な男がいるんです。俺のせいじゃない、それより約束です母さんを治してください」

渋々とレアンドロも重い腰を上げた、俺たちは国営アパートの軋む階段を駆け上がると母親の待つ、自室へ向かった。

 

183年11月2日

AM3:00

「母さんの様子はとうだい、レアンドロ

「んん、かなり無理をしていたようだな。薬は置いていってやるから後は自分で看病しな。俺もこれからまた、金を稼がなくちゃ何ねえ」

「看病か……俺、毎日検問所に行かないといけないんだけどな」

「だったら、俺をここに泊めてくれないか。言った通り文無しなんだ、方々の家を回りながら合間を縫ってあんたの母親の看病はしてやる。その代わりに俺をしばらくここに置いてくれないか」

「そういう事なら分かった。この部屋のベッドで寝なよ、必要なものがあったら言ってくれ」

こんな経緯で俺の部屋には新たな同居人が加わる事となった。

 

183年11月8日

AM6:30

俺がいつも通りに検問所に出勤すると、すでに建物の前にはヴァスル副長官の高級車が止まっていた。何の用だろうと車を脇に見ながら検問所のドアを開けた時、突然後ろから拘束された。

「大人しくしろ、抵抗はするなよ罪が増えるだけだ」

その声からアレクセイだと特定した俺は声を張り上げる。

「またあんたか! 今度は一体何の用だよ」

「何の用? トボけてもムダだぜ」

例のニヤリと笑った時の声色で喋る、嫌な予感がした。

「お前はあるヤブ医者を匿い、協力していた罪に唱えられている。お前のアパートの部屋からその医者が出入りするところを住民が何度も見ているんだ、知らんとは言わせんぞ」

レアンドロの事のようだ、あいつが一体何をしたのだろうか。

「ヤブ医者のレアンドロ、そこそこ有名な悪党だぜ。知らなかったのか共犯者さんよ。
金の無い家の病人を診察した後に法外な金額を吹っかけて家を漁り、金になりそうな物は残さず奪っていくんだ。
なにせ、今までの罪を含めて被害人数が尋常じゃねえ。当然、共犯者もその分の罰を受ける事になるからな生きてまた陽の当たる地上に出てこれると思わんほうがいいぞ」

ペラペラと話すアレクセイの口調は滑らかで、淀みがない。俺は自分の置かれた状況をようやく飲み込んだ。

「待ってくれ、俺は何も知らないんだ。レアンドロがそんなことをやってる奴なんて、犯罪にも協力してない。
あんたなら知ってるよな? 俺は毎日検問官の仕事を……」

「いやぁ、知らんな。それどころかここ最近、俺はお前が検問所に居たのを見てないぞ。何しろそのせいで俺の部下たちが代わりに検問所を運営してたんだからな……。
その間にお前は何をしてたんだろうな? その内、ヤブ医者と一緒に歩いているところを見た目撃者が現れるかもしれんぞ。しかも大勢」

「もう、分かったよ。これ以上言われなくても分かる。俺は何があっても逃げられないってことだな……」

観念した俺はアレクセイに連れられるがまま、車に乗せられ彼の部下にイルクテージの中心部に運ばれていった。

 

検問所には車を見送る二人の影があった。

西検問所、また封鎖ですか。結局1ヶ月しか持ちませんでしたね」

肩をすくめながら喋るアレクセイに副長官ヴァスルがニコリともせずに答える。

「上の権力争いのある意味象徴だからなぁ、ここのポストは。麻薬密売の身代わりとなって切られる事もあれば、今回のように知りすぎたから消される事もある。
全てはイルクテージの繁栄のために、だ」

「それなんですけどねぇ、よくもまぁ都合よくレアンドロ何ていう悪党がここに来る気になりましたよね。しかもタイミングまでバッチリだ」

「何を言う、この世の中に仕組まれていない偶然などあるはずがなかろう」

アレクセイはキョトンとした顔でヴァスルを見る。この時初めてヴァスルは歯を見せて笑み、語った。

「どこぞの国で金に困っているヤブの医者がいたとする。そこにある男が交渉次第で簡単に国境を通してもらえる場所があると話す。
しかも、国内は病人で溢れその大半がまともな医者にかかる術のない貧乏人だと言う。
果たしてそのヤブ医者はどうするかな?」

「なるほど、副長官もお人が悪いですね」

「何を言うか、私が長官の座に座るためだ。その為の糧になったと思えばあの若者も本望というものだろう」

ハハッ違いないですねとアレクセイは応じる。
水平線に輝いていた太陽がゆっくりと昇り、二人の見つめるイルクテージの西国境の町を明るく照らしていた。

 

183年11月8日、ヂャフダイ・シェーカーは犯罪者レアンドロとの共犯の罪で逮捕。禁錮30年の刑に処される。
彼の母親は国営アパートから元の港町へ返された。
人の居なくなった検問所は程なく新たな検問官に引き継がれ物語は進む。